『大家さんと僕』著者矢部太郎さんと上田編集長特別対談
お笑い芸人である「僕」と、ひとつ屋根の下で同居する老婦人「大家さん」との交流を描いた初の漫画エッセイ『大家さんと僕』が大ヒットとなったお笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さん。自身が大家さんでもあるオーナーズ・スタイル誌の上田英貴編集長が矢部さんと語り合い、大家さんとのエピソードを漫画にしたきっかけや、交流の中から生まれた想いなどをお伺いしました。大家さんと入居者さんの心温まる関係が浮かび上がるユーモアたっぷりの対談をお届けします。 ※この記事は2018年8月に取材をさせていただきました。
大家さんと仲良くなれて、すごく幸せを感じている!
1977年東京都生まれ。高校の同級生だった入江慎也と97年に「カラテカ」を結成。また個性派俳優としてドラマや映画、舞台でも活躍している。父親は絵本作家のやべみつのり。コミックエッセイ『大家さんと僕』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
大家さんと僕
1階には大家のおばあさん、2階にはトホホな芸人の僕。挨拶は「ごきげんよう」、好きなタイプはマッカーサー元帥(渋い!)、牛丼もハンバーガーも食べたことがなく、僕を俳優と勘違いしている……。一緒に旅行するほど仲良くなった大家さんとの“二人暮らし”がずっと続けばいい、そう思っていた――。泣き笑い、奇跡の実話漫画。
大家さんから昔の話を聞いて、住んでいる町の見え方が変わった
上田 大家さんとの交流を漫画に描こうと思ったきっかけはなんだったのですか?
矢部 大家さんはちょっとユニークな方で、距離感が独特で情感も豊かだし、おもしろい出来事がいろいろ起きるから、芸人の先輩にはよく笑い話のように語っていたんですよ。
あるとき京王プラザホテルで大家さんとお茶をしていたら、以前、仕事でご一緒させていただいた漫画原作者の倉科遼先生とばったり会いまして。
倉科先生に大家さんをご紹介し、旅行にも一緒に行っているといった話をすると、僕たちの関係をすごく気に入られて、「それはおもしろい!矢部くん、作品にしようよ」と勧めてくださったんです。
当初、「映画や舞台の原作にしたいから、エピソードを教えて」と言われたので、絵コンテに描いてお見せしたところ、「いいね!このままいっぱい描いて、矢部くんの本にしたら」と。それで挑戦してみようかなと思ったのがきっかけですね。
上田 大家さんとのエピソードなどは、意識してストックされていたのですか?
矢部 いえ、特にストックはしていませんね。そうそう、少し前のブログブームの時代、吉本興業から所属芸人に「ブログを開設して本をつくれ」みたいなお達しがあったんです。それで僕もブログを開設してみたものの、書くことがないから、たまに「大家さんから桃をもらって…」みたいな話を書いたりしていました。描くにあたり、それをちょっと見直しましたけれど。
吉本興業って、儲かりそうだとすぐブームに乗っかりますから(笑)、又吉くんの「火花」が芥川賞を受賞したときは、みんなに小説を書けと発破をかけていました。今はipadを配って、「矢部みたいな漫画を描け」と言っています。そういう会社ですから、これからみんなどんどん作家デビューすると思いますよ(笑)。
上田 『大家さんと僕』は全編大好きですが、特に心に残ったのは「うどんとホタル」でしょうか。大家さんは現代にはあまりお見掛けしないほどの上品なご婦人ですよね。戦時中のお話などもよくご存知で、知性を感じさせます。
矢部 長く住んでいる大家さんから昔の地元の話を聞いて、町の見え方が変わりました。昔、このあたりには蛍が飛んでいたとか、この川で洗濯したり、芋を洗っていたとか、電話機が唯一あったのがこのうどん屋さんだったとか…。しかも「あの頃は良かった」的に話すのではなく、ユーモアも交えて語ってくれるから、僕もすっと受け入れられるんです。
上田 本に「芥川と太宰は顔が(大家さんの)タイプ」と描いてありましたが、そういえば矢部さん、顔がなんだか芥川龍之介に似ていますよね。
矢部 えっ、そうですか?大家さんから「芥川龍之介に似ている」と言われたことはありますけれど、確かに芥川の顔が好きと言っていたから、もしかしたら僕の見た目も嫌いじゃないかも…。でも、入居した当時は坊主頭だったので、芥川似だとは思っていなかったはずです。そういえば、ひょろりとやせている僕を見て、「戦時中の子どもみたいですね」と言われたことはありました(笑)。